小児科医の中原利郎さんはなぜ死んだのか
1999年8月16日、東京の佼成病院に勤務していた小児科医・中原利郎さんが亡くなりました。享年44歳でした。
中原さんは月6回から8回も宿直をしなければならないという過重労働による過労から、うつ病を発症していました。そして病院の屋上から身を投げて死んだのです。
遺族がおこした裁判のおかげで、過重労働によるうつ病による過労自殺として労災認定は実現しました。過重労働が精神疾患をひきおこし、それが自殺にいたったということが、裁判の場で立証されたわけです。
ところが、病院当局は中原さんの過労自殺について病院の責任を認めようとしませんでした。遺族は病院の責任を認めさせることを求めて裁判を行っています。
当時の佼成病院では、小児科常勤医6名で治療を行っていました。ところが都の救急当番を病院が引き受けたことで医師の負担が増加、1999年の2月から4月にかけて医師が退職し、半分の3名になってしまいました。
このときに小児科部長代行に任命された中原さんは、月に8回もの当直をするなど、自分が過重な負担を背負い込むことでこの難局を乗り切ろうとしました。部長代行という肩書きだけはあっても、中原さんに人事権はありませんでした。新しく誰かを雇い入れて診療体制を確立するような権限は持たされていなかったのです。
そして、中原さんはうつ病を発症してしまいました。
8月15日、心身ともに疲れきって「退職を申し出ることにした」と家族に約束して家を出た中原さんは当直勤務にはいり、そのまま翌朝の早朝に病院屋上の煙突の上から身を投げたのです。
病院当局には、医師の数が半減したのに医師を確保しなかった責任があります。中原さんが過重な勤務になっていたのに放置した責任があります。職員健診も受けさせないなど最低限の健康チェックを怠ったという責任もあります。
強い使命感と責任感のある医師の犠牲を強いた病院当局が、自らの責任を逃れようとしていることに、心の底から怒りがわいてきます。そして、この事件で病院の責任を認めさせることは、全国の病院での過重労働を無くしていくことにつながるはずです。
なかまユニオン小松病院分会は、中原さんの遺族がおこしている裁判を支援しています。遺族と支援する会では、最高裁判所あての署名運動とメッセージ運動にとりくんでいます。次回は3月5日が要請行動日です。
詳しくは支援する会のサイトをごらんになってください。
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