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大きな不発弾が埋まっています

 今、大阪でJRを利用している人のあいだでは、不発弾処理が話題になっています。

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 大阪市内のJR関連施設、交通局森之宮検車場で65年前にアメリカ軍が投下した爆弾の不発弾が発見されたのです。不発弾処理を9月26日(日)の午前中に行なうので、その時間帯はJR大阪環状線の京橋から天王寺までの区間が運転とりやめになるというのです。

 65年たっているとはいえ、下手にさわれば爆発する可能性があります。不発弾を爆発しないように処理し、撤去する作業は自衛隊の爆弾処理チームが行なうはずです。

 大阪の森之宮検車場がある場所は、65年前は日本軍の兵器工場があったところです。JR環状線の大阪城公園駅から森ノ宮駅の間の区間、線路の片側は検車場、もう片側は公園になっていますが、当時はこのあたりはすべてが軍事工場でした。

 終戦を迎えた8月15日の前の晩、8月14日にアメリカ軍はこの森ノ宮のあたりの軍事工場に激しい空爆を行いました。空爆の被害はすぐ近くの繁華街の京橋にも及び、たくさんの民間人が亡くなりました。この空爆は「京橋空襲」と呼ばれています。今回発見された爆弾も、そのときのものである可能性が高いのです。

 戦争は昔のことのように思えますが、実は私たちが生活している街の地下にも爆弾がまだ眠っているのです。地上戦の行なわれた沖縄では、不発弾処理は日常茶飯事ですよね。

 19日のETV特集で「新藤兼人の遺言」という番組をしていました。98歳になる映画監督の新藤兼人さんが、ご自身の戦争体験に基づいた映画「一枚のハガキ」を撮っているというドキュメンタリーです。

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 戦時中に徴兵された新藤監督は、所属部隊の上官のくじ引きによって運命を決められ、生き残ることができました。100人中の94人は戦死、しかも戦場に行く途中で輸送船が撃沈されて死んだという無意味な死をとげたという事態の中で、生き残った6人のうちの一人だったというのです。

 なぜ自分は生き残ったのか。そのことをずっと問い続け、それが「原罪」であったと語る新藤監督は、国民が戦争に行けと言われても行かないようにするにはどうしたらいいのかと考え続けて、映画を撮り続けてきました。

 なんであんたは生きとるん?なんであんたは死んでない?

 新藤監督の心の中にも大きな大きな不発弾がうずもれているようです。

 映画「一枚のハガキ」は、2011年の夏に公開される予定です。出演・豊川悦司、大竹しのぶなど。

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