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三池炭鉱争議の炎が今も燃えている

 大牟田は、三池炭鉱によって栄えてきた町です。大牟田市立石炭産業科学館は、その歴史を伝えています。

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 大牟田の三池山で初めに石炭が見つかったのは、江戸時代のことだそうです。明治維新のあと、日本を急速に工業化・近代化しようと考えた明治政府は、欧米の技術を導入して炭鉱の本格的な開発に乗り出しました。三井財閥がその事業をまかされました。

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 最初は山べりに露出していた石炭を掘っていたのですが、だんだん深いところへ掘り進み、有明海の地下400メートルに坑道が網の目のようにはりめぐらされるようになっていきました。 

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 炭鉱労働者たちがかぶっていたキャップランプと蓄電池です。身につけてみると、ずっしりと重いものでした。

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 三池港の近くにある、旧三井港倶楽部です。三井財閥が作った迎賓館で、明治政府の要人や財閥関係者、外国の技術者の社交の場だったそうです。今も、結婚式場・レストランとして使われています。

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 この、旧三井港倶楽部のすぐ近くが、かつて三井三池炭鉱争議の決戦場になった場所です。

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 広大な炭鉱のあちこちから掘り出された石炭が、港から積み出されたり貨車に詰まれたりするために一箇所に集められました。貯炭場(ホッパー)です。

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 今では閉鎖されたままで荒れ放題になっていますが、かつてはこの構内に巨大な貯炭場(ホッパー)がありました。三井三池労組に対する指名解雇で始まった三井三池炭鉱争議は、このホッパーでのストライキを実力で守り抜くのかどうかという局面へと展開していきました。

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 労働組合が何万人もの組合員の実力での殴り合いで決戦をするわけにはいきませんでした。三池労組側が断腸の思いで譲歩してストライキを解除して争議は終わったのです。三井財閥に負けたとはいえ、「労働組合役員への指名解雇はやりたくてもできない」という社会状況を作り出し、日本中の労働組合が安定して活動できる条件が整備されていったことは、たいへん大きな成果でした。ホッパーに全国から集まった何十万人もの仲間が勝ちとった貴重な成果なのです。

 そして、三池炭鉱争議の炎は、炭鉱閉鎖の後も国労大牟田支部など地域の労働組合に受け継がれ、今も燃え続けているのです。

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