国労熊本闘争団・平井康博さんを偲ぶ会
国労熊本闘争団の故平井康博さんを偲ぶ会が、11月19日に大牟田中央公民館で行なわれました。
平井さんは2010年11月24日に突然の心筋梗塞で亡くなりました。53歳でした。
平井さんは1975年に国鉄の大牟田保線区に就職、国鉄労働組合(国労)の青年部役員をつとめました。国鉄の分割民営化の際に「国労組合員は解雇する。JRには採用されないぞ」という脅かしが組織的に行なわれ、国労熊本本部の役員たちも次から次へと国労を脱退していきました。しかし国労大牟田支部のみんなはそのような脅かしに屈せず、組合差別の不当労働行為に断固として抗議しました。
そして、1990年の4月、国鉄がJRになるのと同時に平井さんをはじめ国労大牟田の仲間たちは解雇されてしまったのです。仲間たちは国労熊本闘争団を結成、解雇撤回の運動を開始しました。
解雇の直後から、平井さんは大阪にやってきてオルグ活動にはいりました。解雇にいたった経過とその不当性を訴え、活動資金・生活資金のための物品販売として国労ラーメンや熊本の馬刺しなどを行商販売したのです。
当時の大阪の国労の支援協力体制はきわめて不十分でした。平井さんは見ず知らずの地域の労働組合に飛び込みで営業活動を行い、物品販売の販路を確立していったのです。
小松病院にも1991年の2月15日を皮切りに3回来られて支援を訴えました。
偲ぶ会のあとの懇親会では、みんなでモツ鍋を食べながら、平井さんの思い出を語り合いました。大阪でのつらい行商活動で平井さんがくじけそうになったときの話など、初めて聞く苦労話も多かったです。また、苦しいときにもひょうひょうとして冗談を言っては場をなごませようとしてきた平井さんの優しい人柄のことを、誰もが笑顔で語っていました。
そして、平井さんに献杯し、今後も労働者の生活を守る運動を大牟田と大阪をつないで続けていくことを誓い合いました。国労熊本闘争団は解散となりましたが、クリーン大牟田という企業組合を作って活動を継続します。
三池炭鉱闘争の地、大牟田。そこには今も労働者の怒りと闘いの炎がめらめらと燃えつづけているのです。
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