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6月23日は沖縄戦慰霊の日

 6月23日。慰霊の日の沖縄に行ってきました。

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 71年前の6月23日、沖縄に駐留していた日本軍はアメリカ軍の猛攻の中で崩壊しました。沖縄戦の組織的戦闘が終了した日ということで、沖縄県ではこの日を慰霊の日としています。

 当初は首里城にいた日本軍司令部はアメリカ軍に押されて南部へ撤退。沖縄本島南端の摩文仁の丘で、司令官の牛島満(うしじま・みつる)中将と参謀長の長勇(ちょう・いさみ)中将が自殺したのが6月23日でした。戦闘終結の交渉ができる責任者が先に死んでしまったことで、和平の道は閉ざされ、多くの沖縄県民が亡くなったのです。

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 その摩文仁の丘に、平和の礎(へいわのいしじ)はあります。沖縄戦で亡くなった方をすべて、敵も味方も、兵士も民間人も含めて名前を刻んで慰霊するために作られた巨大な慰霊碑です。

 おびただしい数の沖縄県民が亡くなったということが、平和の礎を見ていると伝わってきます。地上戦においては、兵士よりも民間人の方がより大きな犠牲を出してしまう、それが沖縄戦の教訓ではないでしょうか。

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 この日は、沖縄中からたくさんの県民が訪れて、沖縄戦で亡くなった家族の慰霊を行います。

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 家族の名前が刻まれたところをきれいに掃除し、花を供えます。

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 そして、家から持ってきたご馳走を家族みんなで食べます。沖縄の文化では、死者といっしょにご馳走を分かち合って食べることで、グソー(あの世)にいる死者に家族の様子を伝え、慰霊するのです。

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 沖縄戦では、一家全滅どころか、集落がまるごと全滅したところさえありました。また、役場もすべて燃えてしまったのです。ですから、犠牲になった方の名前を特定して刻むということ自身が、たいへん難しい作業でした。今でも、犠牲者の名前がわかると追加で名前を刻み続けているのです。

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 当時の沖縄には、朝鮮半島から来た人もたくさんいました。多くの方々が亡くなりました。しかし、そういう方々は名前がわからないことが多いのです。そのため、韓国や朝鮮民主主義人民共和国の犠牲者の名前を刻むべき場所には、まだまだ余白が残されています。

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 この日、摩文仁の丘では沖縄県主催の戦没者追悼式が行われました。翁長県知事は、71年たってもアメリカ軍関係者による犯罪事件・事故が続く沖縄の状況に強い憤りを表明しました。

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 真っ赤なハイビスカスは沖縄ではグソー花と呼ばれ、この世とあの世とを結ぶ花だと言われています。安らかに眠りたくても眠れない沖縄の現状を訴えるかのように、真っ赤なグソー花が今年も咲いています。

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