佐喜眞美術館の「沖縄戦の図」[沖縄紀行・その9]
宜野湾にある佐喜眞美術館に行きました。
佐喜眞道夫さんが1994年に開設した私設美術館です。「もの想う空間」というのがコンセプトです。忙しく、いやなことばかりが起こる沖縄の日常生活の中で、ここに来ればゆっくりとものを想うことができる場にしたいということです。
佐喜眞美術館のある場所は、以前はアメリカ軍普天間飛行場の中でした。市街地の真ん中にあるので事故が絶えず、早期の撤去が日米政府間で合意されているという、あの飛行場です。
佐喜眞美術館の屋上にのぼってみると、すぐ隣に普天間基地が見えます。有名なオスプレイが常駐しているのですが、この日は飛んでいませんでした。
屋上から、基地と反対側を見ると、亀甲墓が見えます。これは、佐喜眞道夫さんの家の先祖代々の墓です。71年前に沖縄戦でアメリカ軍がやってきて、普天間の台地に勝手に飛行場を作ってしまいました。その時に、佐喜眞さんの家のお墓も、周囲の土地ごと接収され、アメリカ軍基地とされてしまったのです。
美術館を作りたいと考えた佐喜眞道夫さんは、自分の家のお墓の周囲にある土地が最適であることに気づきました。しかしそこはアメリカ軍基地のフェンスの中。最初はどうしていいかわからなかったと言います。
「美術館を作りたいから土地を返してほしい」そう考えた佐喜眞さんは、最初は日本の役所である防衛施設庁にそのお願いに行ったそうです。ところが、防衛施設庁の官僚どもはまったく聞く耳をもたなかったのです。
佐喜眞さんは、アメリカ軍基地の司令官に直接話をすることに成功しました。すると、アメリカ軍司令官は「美術館を作るのは市民にとって良い事業だ。協力しよう。」と、土地の返還に同意してくれたのです。
佐喜眞さんが、困難な道を乗り越えてでも美術館を作りたいと思ったのにはわけがあります。丸木位里・俊夫妻の描いた「沖縄戦の図」を展示できる場が沖縄に必要だと思ったのです。
「沖縄戦の図」です。佐喜眞美術館のサイトからいただいた画像です。
実物は4m×8.5mもの大きなものです。そこに沖縄戦で起きた様々な出来事が丹念に書き込まれているのです。
遠くから見ると、黒くて赤くて何かよくわからない塊のようにしか見えないのです。しかし、近づいて見ると、一人一人の人物の表情までが見えてきます。黒い塊に見えたものは戦場の煙で、よくよく見るとその煙の向こう側に苦しんでいる人の顔がこちらを見ているのです。
炎の中をはだしで走って逃げる家族。「集団自決」で首をしめあって殺しあう母と息子。
リアルな「戦場」が、そこにはあります。
極限状態におかれ、我を忘れた人の目玉は真っ白で、瞳が描かれていません。
丸木位里・俊夫妻は、沖縄戦を体験した方から長い時間をかけて話を聞き、沖縄戦を体験した人にモデルになってもらって、この絵を描き上げました。そして、この絵は沖縄に置いておくべきだと考えたのです。ところが、絵が完成しても沖縄にはそれを展示できるスペースがありませんでした。だから、佐喜眞さんは自分が美術館を開設して、そこに「沖縄戦の図」を展示しようと考えたのです。
佐喜眞美術館では、この「沖縄戦の図」を離れたところから見ることもできますし、顔を近づけて細部にわたるまでじっくりと見ることもできます。
ぜひ、実物を見に行くことをおすすめします。
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