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チビチリガマ世代を結ぶ平和の像 [沖縄紀行・その6]

 読谷村の波平(はんざ)にあるチビチリガマ世代を結ぶ平和の像にお詣りに行ってきました。

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 71年前の1945年4月1日、アメリカ軍は読谷村の海岸に何百隻もの軍艦で押しかけて上陸しました。その海岸から数百メートルのサトウキビ畑の中に、チビチリガマはあります。ガマとは沖縄の言葉で自然壕つまり洞窟のこと。チビチリガマとは「尻切れ壕」の意味です。

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 敵国であるアメリカ軍の大部隊の上陸という非常時に、波平の住民たちはこのチビチリガマに避難しました。アメリカ軍には、非武装の一般住民に危害を加えるつもりはありませんでした。しかし、「生きて虜囚のはずかしめを受けるな」という教育を受けていた当時の住民たちには、アメリカ軍に降伏し捕虜となるという選択肢は考えつくこともできませんでした。

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 ガマの暗闇の中に避難した住民たちの中で、全員で死のうと主張する者、なんとか生き延びる道を考えようとする者、深刻な対立が発生しました。

 4月2日。混乱の中、集団での自死が発生してしまったのです。子どもたちもたくさん避難していました。子どもたちを親自らが手にかけるというとんでもない事態に陥りました。

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 布団をガマの入り口に積んで火をつけ、その火と煙で死のうとするものもあらわれました。おかげで、チビチリガマの入り口は今も黒く焦げています。

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 ガマから逃げ出して生き残ることができた人もいました。しかし、あまりにも恐ろしい事件の起きてしまったチビチリガマのことを、その後何十年もの間、誰にも語ることができませんでした。

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 沈黙のはてに、沈黙の重圧に耐えきれなくなった年月をすぎて、変化があらわれました。事実を語り継いで行こう、そう呼びかける者があらわれたのです。そして、チビチリガマの生き残りの人、遺族の人たちが共同制作したのが、チビチリガマ世代を結ぶ平和の像でした。製作指導は金城実先生が行いました。1987年4月2日に完成しました。

 あろうことか、平和の像はできあがって半年後に、心なき者の手によって無残に破壊されてしまいました。戦争の不条理さを世間に知らせる平和の像が存在することを、快く思わない者がいたのです。「チビチリガマの犠牲者は二度殺された」遺族は嘆き悲しみました。戦争は、終わってはいなかったのです。

 しかし、平和の像は遺族の手によって再建されました。再建の碑にはこう書かれています。

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チビチリガマから世界へ平和の祈りを
 

 1945年4月1日、米軍はこの読谷村の西海岸から沖縄本島へ上陸した。それは、住民を巻き込んだ悲惨な沖縄戦・地上戦であった。その日のうちに、米兵はチビチリガマ一帯に迫っていた。翌2日、チビチリガマへ避難していた住民約140名中、83名が「集団自決」をした。尊い命を喪った。

 あれから38年後、やっと真相があきらかになった。その結果、83名のうち約6割が18歳以下の子供たちであった。その他、2名が米兵の手によって犠牲になった。

 「集団自決」とは、「国家のために命を捧げよ」「生きて虜囚の辱を受けず、死して罪科の汚名を残すことなかれ」といった皇民化教育、軍国主義教育による強制された死のことである。

 遺族は、チビチリガマから世界へ平和の祈りを、と「チビチリガマ世代を結ぶ平和の像」を彫刻家金城實氏と住民の協力のもとに制作した。しかし、像の完成から7カ月後、11月8日、心なき者らにより像は無残にも破壊された。住民は怒り、遺族は嘆いた。

 全国の平和を願う人々はそのことを憤り、励ましと多大なカンパを寄せた。あれから7年余が経過し平和の像の再建が実現した。チビチリガマの犠牲者への追悼と平和を愛するすべての人々の思いを込め、沖縄戦終結50周年にあたり、ふたたび国家の名において戦争への道を歩まないことを決意し、ここに、この碑を建立する。

1995年4月2日

チビチリガマ遺族会

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