家族を想うとき・「フランチャイズ個人事業主契約」が引き裂く家族の絆
ケン・ローチの映画「家族を想うとき」を見てきました。
リッキーは、イングランドの地方都市に暮らす建設工。10年前にバブルがはじけたおかげで建設の会社を追われ、様々な仕事を転々としてきました。妻のアビー、高校生の息子セブ、小学生の娘ライザとの4人家族で、借金まみれで貧しいながらも、あたたかな家庭を築いてきました。
しかし、リッキーは、この貧しい暮らしからなんとか抜け出したいと考えました。どんな仕事でもやってやろうという気概を持つリッキーは、フランチャイズ契約の宅配便ドライバーの仕事があることに目をつけました。
リッキーは、宅配会社PDFの本部を取り仕切るマロニーを訪ね、契約を申し込みます。マロニーは言います。「うちは、あんたを雇うわけではない。あんたは独立した自営業者だ。勝つも負けるも、すべては自分次第だ。できるか?」
リッキーは、「ああ、長い間、こんなチャンスを待っていたんだ」と強気で答えます。しかし、リッキーはこの仕事のことを詳しくは理解していなさそうです。
「宅配で使う自動車は、自分で調達するのだ。自前の車で来るか、それとも会社から有料で借りるか?どっちだ?」さっそくマロニーに尋ねられたリッキーは困ってしまいます。会社から有料で借りればレンタル料が高すぎて、儲けがありません。かと言って自分で車を購入するだけの資金は手元にありません。
リッキーはしかたなく、妻のアビーが在宅訪問介護の仕事のために使ってきた車を売却することで、宅配車の購入の頭金をなんとか作ったのでした。
宅配便の仕事が始まります。マロニーはリッキーに、「スキャナー」を手渡します。スキャナーは、本部で荷物を受け取ったことや、配達先に荷物を届けたことを管理するだけではありません。配達時間の管理、最も早く到達できる配達ルートのナビまでやってくれる優れものです。
「スキャナー」のおかげで、リッキーは仕事中は一息入れることもできません。配達が一分でも遅れれば、「スキャナー」から本部にその情報が届き、ペナルティを科せられてしまうのです。運転席から2分離れただけで警告音が鳴ります。おかげでトイレにも行けません。
配達のノルマは過酷です。不在の家があれば改めて配達に行かないといけません。毎日14時間も働かないと、全部を配達することができません。
学校が休みの日、娘のライザはリッキーの仕事を手伝います。二人で協力して走れば、何とか時間内に仕事を終わらせることができたのです。しかし、家族を宅配車に乗せることは本部が禁止している行為でした。
妻のアビーは介護福祉士で、在宅訪問介護の仕事をしています。1日に何人もの利用者の介護に飛び回らなくてはならず、時間がかかる気難しい利用者がいれば、どんどん時間が無くなっていきます。
リッキーの宅配車購入のために、自分の車を売ってしまったアビーは、訪問先への移動のためにバスを利用しないといけなくなってしまいました。バス停で長い時間を過ごさないといけなくなってしまったアビー。子どもたちと晩御飯を食べる時間も奪われて、子どもたちの携帯に「冷蔵庫にあるパスタを食べておいて」と留守電しておく毎日です。子どもたちの心に不安と負担が募っていきます。
息子のセブは、グラフィティという街頭の壁への落書きアートに没入していきます。言葉にならない不安感を、シュールな絵にして表現せざるをえない衝動に駆られるのです。学校も休みがちで、学校の先生からしゅっちゅう連絡が来ますが、仕事で忙しいリッキーとアビーは、学校どころではありません。
ついに、セブが学校でけんかをしたので親に学校に来てほしいという呼び出しがかかります。しかし、リッキーもアビーも仕事を中断することができません。親が来ないということで、セブは停学処分になってしまいます。
リッキーは本部のマロニーにかけあいます。「なんとか、休みをもらえないだろうか。家族がたいへんなんだ。」
マロニーは答えます。「それは、私に言うことではない。休みが欲しいなら代わりの人を探せばよい。それがあんたの仕事だ。仕事に穴をあけることは許されない。そういう契約だ。」
追い詰められるリッキー。事態はますます深刻になっていきます。
フランチャイズの個人事業主契約とは、なんという不条理な世界でしょうか。個人事業主だから、本来ならばいつ仕事をして、いつ仕事を休むか、自由に決めることができるはずです。ところが、リッキーは家族の都合で休もうと思っても、休むことが許されない。
こんな契約は、奴隷といっしょです。決定権を持てない人が、責任を取らされる。そんなことはおかしいのです。
この映画の原題「Sorry, We missed you.」は、「申し訳ありません。あなたに会いたかったです」という意味で、イギリスの宅配便の不在連絡票に書かれている言葉です。
リッキーは、宅配先の住人が不在のたびに、「Sorry, We missed you.」という紙きれを放り込み、またあとで配達に来なければいけないので、今日も仕事が終わらなくなるとため息をつかないといけません。
しかし本当は、リッキーは、晩御飯の時間に家に帰ることができなくて、家族に対して「Sorry, I missed you.」と言いたかったのではないでしょうか。家族とすごす時間もとることができないような働き方は、間違っています。
日本でも、ウーバーイーツや、コンビニで働く人が個人事業主というのは名ばかりで、本部の奴隷のように扱われていることが問題になっています。この映画で描かれたイギリスの働き方の問題は、他人事とは言えません。「働き方」の重い実態、ケン・ローチの問題提起は重大です。
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