「集団的自衛権」で集団自決の悪夢がよみがえる
最近、「安保法制」の制定をめぐって「集団的自衛権」という言葉があちらこちらで飛び交っています。
最初にネットニュースでこれを見たとき、ドキッとしました。すぐに自分の読み間違いであることに気づきました。一瞬、「集団自決権」と書いてあるのかと思ったのです。
集団自決をさせられることが、今の日本で問題になっているのかと思ったのです。しかし、それは私の見間違いでした。実は、見間違いをせずにいられないわけがあるのです。
私は、30年ほど前に集団自決の地を訪れたことがあります。それは沖縄県の読谷村にある「チビチリガマ」という洞窟です。初めて訪れた沖縄で、私はチビチリガマのことなど知りませんでした。ところが、まったくの偶然で出会った仲宗根先生という学校の先生が、せっかく沖縄に来たのなら勉強していきなさいと連れていってくれたのが、チビチリガマでした。
70年前の1945年4月2日、アメリカ軍は沖縄の読谷村の海岸に上陸しました。村の住民たちは、集落ごとに避難壕を決めていました。そんな避難壕の中の一つがチビチリガマという洞窟で、海の近くのサトウキビ畑の真ん中にぽっかり開いた自然壕だったのです。
30年前、先生の車でサトウキビ畑に到着した私たち。当時、チビチリガマを訪れる人はほとんど無く、慰霊碑すらまだなく、草がぼうぼうにはえた斜面をハブを追い払いながら降りていくと、洞窟の入り口があったのです。入り口の岩は焼け焦げたようなあとがありました。
中にはいると真っ暗です。先生の懐中電灯をたよりに一歩一歩足元をたしかめながら入っていきます。
そして奥まで入った時に、先生が足元を照らして「これを見てください」と言ったのです。すると、そこにはあたり一面無数の骨が散らばっているではありませんか。私は、自分が骨を踏んで立っていることに気づいたのです。それは、そこで集団自決で亡くなった人の骨だったのです。
散らばった人の骨を見るだけでもびっくりですが、ましてやそれを自分が踏んで歩いてしまう。これはたいへんなショックでした。一面に散らばっているので、骨をよけて歩くことができないのです。申し訳なくて、どうしたら良いのかと思いました。
70年前、ここには、80人ほどの地元住民が避難しました。「アメリカに降伏するくらいならみんなで死のう」と集団自決を訴える人と、生き延びようと主張する人の激しい争いが起きました。結局一つの家族が死を選ぶと、次々に死のうとする人があらわれ、最後には洞窟内に火が放たれ、ほとんどの人が死んでしまったのです。
「自決」と言うと自殺のように思えますが、子どもたちが自殺できるはずがありません。体の弱ったお年寄りが自殺できるはずがありません。親が子を殺す、子が親を殺すそして自らも罪を背負って死んでいく、というのが集団自決の実態だったのだといいます。
悪夢です。
1996年から、このチビチリガマへの立ち入りは禁止されています。チビチリガマのことが有名になって、心霊スポットだとか面白半分で見物しにくる人が増え、亡くなった人の骨が踏まれることに耐え切れなくなった遺族たちが、立ち入りを禁止したのです。
私は、立ち入り禁止になる前にチビチリガマに入ってしまった人間として、責任があると感じています。自分が見た事実を忘れずに、語り継いでいく責任です。そこで亡くなった方の魂が、骨を踏んでしまったときに私の体内にのりうつってきたような気がするのです。
戦争というのは、人が野に骨をさらすことです。しかも、兵士だけではなく民間人もです。
そのことをよくわかったうえで、安保法制だとか、集団的自衛権だとか、他国の戦争に自衛隊員を派遣する事とかを議論してほしいのです。「外国の戦争に行っても自衛隊員のリスクは高まりませんよ」とか、脱力系の議論しかしない無責任な政治屋たちのおもちゃにされるのはたくさんです。
ゲームや映画のようなフィクションの中の話ではありません。
70年前の集団自決の犠牲者たちの怨念が、静かに燃えているのを感じるのです。
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